浜松

浜松に引っ越すことことが決まり

情報収集のために忘備録として記載してこうと思う。

 

 

 

どんな地域にも面白い発見はあったりするものだから

それの記録も兼ねて。

 

 

引っ越しまであと3ヶ月弱。

 

まだまだ準備はまだまだだけど

気持ちくらいは 準備したいものです。

 

応援する

旦那さんが英語の勉強をしている。

 

旦那さんは大の英語嫌いだけれど、仕事の関係でどうしてもやる必要があり

毎日必死になって勉強している。

 

えらいよね。

 

 

でも、私、なんだか素直に応援できてないんです。

ダイニングテーブルで必死になっている姿が

えらいとは思うけど

邪魔くさい。

 

応援してね、って言われるのも

なんだかなーって思う。

 

性格悪い。

 

 

お盆休みだけど

子供は家にいるし

どうせならどこか勢いで出かけたいのだけど

明日から義理の実家だし

まぁなし崩し。

 

 

アーーーー。

 

 

なんだろな。

母親像

どういう母親になりたいか。

 

私は自分を犠牲にして子供のためには生きられない。

 

かといって、自分ばかりになっても母親としてはどうなんだろうか?

 

自分のやりたいことばかりしてたら?

 

 

***

 

 

 

私の母はお金のためにと言って、

結婚して、父もいたけれど、友人の超お金持ちのところに会いに行っていた。

 

行くと豪華な食事、お小遣い、洋服、ホテルも用意してくれる。

 

 

一方私たち家族は家で留守番をする。

 

 

この記憶は幼い私にとって、影響を与えたのは確かだ。

 

 

一般的ではないことはもうわかる。

 

 

男女で会うことが夫婦とは違った意味合いであることも。

 

 

母はお金のためにと言っていたし

それを父はなぜか容認していた。

 

 

なんでだったのだろう。

 

 

 

***

 

 

母は母なりに苦労していた。

お金がないと幼稚園の時から働いていた母。

 

私はきっと寂しかった。

そばにもっと居たかった。

 

居たかったけれどそばにいればうざがられていた。

一人になりたいと言っていた。

 

 

私は今、自分の子供にも同じようにまとわりつかれるのが嫌だし、一緒に遊ぶのも面白いと思えない。

 

たまに子供から、「子供がいる」ということからも逃げ出したくもなる。

 

ずっと昔から、自分が自分であることから逃げ出したかったように。

 

 

 

でもさすがにそんなことをしてても進歩がないことも分かった。

人生を楽しめないことも分かった。

 

 

そろそろ、逃げ出したって、自分からは逃れられないということを受け入れたい。

 

 

2016/08/09_昔の記憶2

小さな自分は、もっといっぱい感情を出したかっただろうな。

 

怒りをずっと悪だと思って、

感じないようにして生きて来た。

 

でもたまに爆発。

 

最近は子供に手が出ている自分。

 

これをどうにかしたくて、このブログを書いている。

 

 

カウンセリングなど他の対策は取ってはいる。

 

感情をただ吐き出すことをしてこなかったから、

なんでもありのままを書きたいと思う。

 

2016/08/09_昔の記憶

母からはいつも父の愚痴を聞かされて育った。

 

私は父親っ子だったけれど

家族で悪者とされる父とは

物心つく時から一線を引くようになる。

 

よくある夫婦喧嘩。

私は怖かった。

 

どうしたら喧嘩しないんだろう。

 

親の機嫌を伺うようになる。

 

 

母は日中からお酒を飲んでやり過ごしていた。

心を病んでいたんだと思う。

 

でもそのせいで、夕飯中よく絡まれた。

支離滅裂な説教。

要領を得ない話が一時間も続く。

 

逃げたかったけど逃げなかった。

だから私はだんだん、自分を無にする癖がついた。

 

あの時立ち向かって喧嘩していたらよかったのかもしれない。

でも、喧嘩=嫌なものとしていたから

言い争いを自分からすることはできなくて

ただ黙って聞いているだけ。

 

 

 

2016/08/09

 

8/9

 

子供を公園に連れて行った。

疲れた。

家にいるとイライラするので公園に行くけど、

たまに思う。

 

 

なんで私が?と思う。

母親に連れて行ってもらった記憶はないのに!

 

 

 

きっとその母親の意味は「温かく安心する母親」という意味だと思う。

 

衣食住のことはたくさんしてくれた。

食については過剰なほどだった。

 

今は生きているのも、それは大事な要素ではある。

 

 

2年前に私が書いていたカウンセリングノートを見られた。

すごく落胆した。

母に対する不満などたくさんかいてあった。

 

私は怒りたかった。

うまく怒れなかった。

 

怒りをどう感じていいのか、どう処理すればいいのかわからない。

私の中で怒り=殺意に近い。

殺してやりたい。

自分をも無にしていないと、どんどん湧いてくる怒り。

 

 

昨日、母の代わりに建て替えていたお金を返してもらった。

一万円足りない。

お寿司をみんなで食べたお金。

 

「これは私がおごったってこと?」

「・・・。

払っておきなさい。」

 

 

私は混乱した。

ショックだった。

 

無表情な「払っておきなさい」。

私は二の句がつけなかった。

 

 

先週洗濯機を半分費用を出し、それでも専業主婦の私からしたら大きい額。

 

いや、違う。

額じゃない。

 

母親の反応が嫌だったんだ。

せっかくお金を出したのならそんな言われ方はないんじゃないの?

そういうことだ。