母親像

どういう母親になりたいか。

 

私は自分を犠牲にして子供のためには生きられない。

 

かといって、自分ばかりになっても母親としてはどうなんだろうか?

 

自分のやりたいことばかりしてたら?

 

 

***

 

 

 

私の母はお金のためにと言って、

結婚して、父もいたけれど、友人の超お金持ちのところに会いに行っていた。

 

行くと豪華な食事、お小遣い、洋服、ホテルも用意してくれる。

 

 

一方私たち家族は家で留守番をする。

 

 

この記憶は幼い私にとって、影響を与えたのは確かだ。

 

 

一般的ではないことはもうわかる。

 

 

男女で会うことが夫婦とは違った意味合いであることも。

 

 

母はお金のためにと言っていたし

それを父はなぜか容認していた。

 

 

なんでだったのだろう。

 

 

 

***

 

 

母は母なりに苦労していた。

お金がないと幼稚園の時から働いていた母。

 

私はきっと寂しかった。

そばにもっと居たかった。

 

居たかったけれどそばにいればうざがられていた。

一人になりたいと言っていた。

 

 

私は今、自分の子供にも同じようにまとわりつかれるのが嫌だし、一緒に遊ぶのも面白いと思えない。

 

たまに子供から、「子供がいる」ということからも逃げ出したくもなる。

 

ずっと昔から、自分が自分であることから逃げ出したかったように。

 

 

 

でもさすがにそんなことをしてても進歩がないことも分かった。

人生を楽しめないことも分かった。

 

 

そろそろ、逃げ出したって、自分からは逃れられないということを受け入れたい。